須賀敦子ユルスナールの靴』(白水Uブックス)
その作家のことがずっと気になっていても、手にとるきっかけがないまま過ぎてしまう、ということがある。他の本や、友人との会話など色々な所でその名前を見て、聞いて、きっと良い作家なんだろうな、と思いながらも読むきっかけを逸している人、須賀敦子は僕にとってはそういう人だった。本書は女性初のアカデミーフランセーズ会員となったユルスナールの評伝であり、須賀敦子自身の自伝的エッセイでもある。その自然な溶け合い方が何とも言えず素晴らしい。ユルスナールも作中言及されるピラネージも名前は知っていたけど、というレベルだった。名前だけなら知っている、ということはかなり頻繁にあることだけれども、往々にして、なぜその名前を知っていたのかは思い出せないことが多い。が、今回は思い出せたのである。二人とも、澁澤龍彦『胡桃の中の世界』で名前が出てきたことが、その部分が本書に引用されることによって思い出された。ちょっと衝撃的。ひとつは読んだ端から忘れてしまうような濫読でもやはり脳味噌にこびり付いて何かしら残っているものなんだな、という事。読めば読んだだけ、何がしかの意味はある、と体感した。もうひとつは、澁澤龍彦の強烈な個性に引きづられてしまっていた自分を発見したこと。澁澤=怪奇、幻想、マニエリスム、シュルレアルなイメージが強過ぎて彼の著作に出てくる人達を全てそんなイメージで捉えてしまっていた。ピラネージはともかく、ユルスナールを澁澤的と短絡するのはちと乱暴だったな、と。ちなみに本書はとても良い本。今夜は無駄に饒舌だった、良くないな。

 きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。

 
ユルスナールの靴―須賀敦子コレクション (白水uブックス―エッセイの小径)