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- 内田百間『内田百間集成18 百鬼園俳句帖』
- 俳句好きだった百間の作品や俳句にまつわる随筆等。とある出版社から森田草平に夏目漱石の俳句の解説書の依頼が来たものの森田は俳句はさっぱりだったため百間が代わりに執筆したと言う文章も収録。後にも先にもこれ一度きりのゴーストライター体験だったそうな。俳句は良くわからんが漱石の俳句の解説は面白かった。
切口に冷やかな風の厠より
実に恐れ入った句なのであるが、これ亦漱石先生の俳境の一端を示す例として、掲げることにした。この句には、次のような前書きが附いている。曰く、「肛門の方段々よけれど創口(きずぐち)未だ肉を上げず、ガーゼの詰めかえ頗る痛み候」(中略)かくの如き不快なる、又尾籠なる経験をも、十七字の詩形に盛って、淡淡として、済ましてその不快なり苦痛なりを客観せんとするのが俳諧の常道であり、それをなし得るは即ち俳徳とも云う可きか。
「漱石俳句の鑑賞」より
- また、「木蓮や堀の外吹く俄風」という百間の句に対し、百間は風に対して特別な関心を持っているという指摘があり興味深い。楽しんだり、怖れたり、どちらかと言うと恐怖に近い感じ、との指摘。確かに随筆や小説の至る所に風のことが出て来ている。
夕方に吹き止んだ風が、夜中にまた吹き出す。私は、その前にきっと目をさましている。しんとした窓の外の、どこか遠くの方で、何だかわからない物音がする。ことりと云うただ一つの物音が、狙いをつけた鉄砲玉のように、真直ぐに私の耳に飛んで来る。それが風の先駆なのである。 「旅順入城式」より
- レオポルド・フォン・ザッヘル・マゾッホ『残酷な女たち』(河出文庫)
- マゾヒズムの語源、マゾッホの短編集。サドのようにやりまくる訳ではなく、女性に屈服する男性が多く出てくる感じ。サドよりお上品。代表作『毛皮をきたヴィーナス』の河出文庫復刊を強く求む。